ども、稀見理都です。
おまえの文章は「硬い!」という指摘をちらほら…
すいません(; T_T)/
もっと気楽に楽しく読める物書きを目指してがんばります。
さて、今日のテーマは
「女流エロマンガ家という存在」についてです。
これは、もちろん現実の女流エロマンガ家もそうですし、キャラとしてのマンガ家も含みます。
ネットで最近話題になった
「女の作者の描くエロにはエロさを感じない」という、(2ちゃんのスレッドが元ネタですが)話題を元に、エロマンガにおけるちょっとした「エロマンガ的テクスト論」や「女流エロマンガ家キャラ論」を適当に語ってみたいと思います(だんだんいい加減になっている?)
今もっとも人気のある「女流エロマンガ家」とえいば米倉けんご氏ではないでしょうか?
彼女の代表的な作品「ピンクスナイパー」(しかも画像は
英語版)は多くのファンを生み出しました。ただ、人気があるといっても彼女の場合は少し特別で,ある意味
「もっとも女性から指示を受けている女流エロマンガ家」というべきかもしれません。
何年か前にコミケで彼女の同人誌を買いにサークルまで行ったのですが,並んでいる列の8割が女性という,男性向けエロ同人サークルの列としては驚異的な比率をみて驚いた事がありました。
近年、アマゾン(買いやすい)やBLからの流入などで「男性向けエロ」に女性ファンが増えてきたことは確実だとは思います。ファンが増えれば同時にエロマンガ家になりたいと思う女性も増えるわけで、昔に比べて女流エロマンガ家さんが増えたこともこれまた事実でしょう。
米倉けんご氏(通称ヨネケン)がこれだけ女性に支持される理由はそれだけで十分記事になるので今回は置いておいて、テーマである「女流作家が描いたエロをどう読むか!」という部分を少し考えてみよう〜。
■「女が描いたエロじゃ勃たない!」のか?
2ちゃんの「女の作者の描くエロにはエロさを感じない」スレッドの歴史は意外に古く、2001年頃にはすでにあったと思います。(といいつつも、結論っぽい結論はでてませんが(^_^;)
主な主張は…
・女が描くエロは女性視点なので、男のツボではない!
・男の気持ちよさを理解していないため,表現が下手である。
・女が描いた!と言う時点で萎える…
これに対し「養護」ではないですが、反対意見が多いのも確か…。
・女が描くからこそ萌える
・淫乱女を描かせると秀逸!
・表現力が豊かで、激しいだけのエロよりいい!
と、なんだかんだいって、女流であるかないか以前にかなりの個々の性癖の方が優先されている感じはしますが、作品を描く性別が読み手にどのような影響を与えるのか?という部分で考察してみると少し面白いです。
■エロマンガをテクストとして読むべきか否か?
文芸評論や文学論において「作品と著者」の関係は切っても切り離せない重要なファクターです。著者が何を感じ作品を書いたかという考察などはもちろん今でも盛んに行われる手法ですが、それとは別に「テクスト論」という考え方も存在しています。
「テクスト論」とは「作品」と「作者」の関係を完全に切り離し、主にその作品(テクスト)のみにおいて考察を行う当たらし評論理論です。
そういう意味では、エロマンガの読者は伝統的に「テクスト論的」な立場でストーリーを解釈してきたジャンルではないでしょうか?
ようするに、エロマンガをおかずにするときに、いちいちこの場面で著者は何を思ってこんなセックスを表現したのか? など基本的にあまり気にしない、というか
それどころではない!状況だと思われます(^_^;
しかし、
作者が女性というファクターが加わると、この「テクスト的読み方」が一気に変貌するのが面白いところです。(ただし、読者が男性という想定)
このファクターによって、読者のエロマンガを読むときの「妄想」に新たなストーリーが加えられるわけです。
・こんなエロいマンガを描く女性はやっぱりエロいのかな?
・実体験がやはりネタになっているのかな?
・エロい話を描くときって、やっぱりオ○ニーとかしてるのかな?
という、一種の作品上で語られていない、もう一つの
ドリームが構成されるのです。
ただ、最初に述べたとおり、このような新しいドリームとして妄想を助長させる場合もあれば、女が描く!という要素で萎える人もいます。しかし、確かにファクターがあるせいで「テクスト的」だったエロマンガが急に「作品と作者」の関係を結びつけるのです。
■脳が支配する妄想
作者が女性であるとわかることによる、作品から感じるエロが変化するという事実は非常に面白い現象です。
面白いのは、実際は男性なのに、この作者は実は女!と思い込んで読んでいる人でも同じ現象がおこります。ようするに、そう思い込むことが大事なのです。
実際「この作者は女なのにすげ〜エロい!」という書き込みがあるが、実際は男性である、なんてことはよくある話ですね(^_^;
(もちろん逆もあります)
もう一つ面白い現象として、女性作家でエロを描いているが,同時にBLマンガも描いている作家さんもいます(というか、実際結構多い)が、BLを描いていると言う事実を知ることで、萎えてしまうという読者もいます。
このように、描いている作家(女性)がどういう人物であるかという
認識が、エロマンガを読む上で、また違うリビドーをかき立てるという。すなわち、脳が支配する部分がエロマンガにあることは面白い部分でもあります。
■女流エロマンガというキャラ
こういう作品上で語られない、もう一つのドリームであると言う認識が、実際の作品でも実はちゃんと生かされています。「女流エロマンガ家」というキャラとして…
女流エロ漫画家物語 鈴木キムチ(著)
女流エロマンガ家が出てくるマンガの9割が、基本漫画家と編集者の話になっていて、この単行本の「エロ漫画家事情」という話では、無理難題ばかり言いつけるわがままな女流漫画家に編集者がキレて、やってしまう話になっています。
面白いのは、この作家が
「やおい」出身という設定で、やおいなら=アナルが好きだよな!という、一見筋が通っているようで全然理屈が通っていない攻めをする部分でありましょう。(^_^; (でも、やはり感じる)
ここでも、女流エロマンガ家が淫乱!と言う設定は必然で、ドリームがより強調させる話にはなっています。
エロマンガよりも歴史のある官能小説においてももちろん、女流作家というキャラは昔から存在していて、マンガより以前からドリームを提供していました。
カノジョは官能小説家 後藤 晶(著)
この話は、それをマンガ化した形のストーリーです。
SM官能小説家である主人公が私生活でもSM女王様キャラで、新人編集者に対しいろいろなプレイを試みながら、ある意味実録形式で作品を書いていくという「コメディ」。
この作品においても、エロ作家が私生活でも同じ性癖、実録的生活をしているというドリームを描いています。
次は、作家と編集者という関係ではなく、作家と作家にあこがれる少女、という少し変わったパターン。
少年少女は××する 陸乃 家鴨(著)
主人公は女流エロマンガ家ではないですが、その弟、そして作家にあこがれる弟の同級生の女の子、また弟の級友が繰り広げる、エロマンガコメディー。
このマンガの面白い点は、エロマンガに全く態勢のない娘が女流エロマンガ家の下で悪戦苦闘する話です。ある意味、
エロ素人にエロ指導する調教系の興奮が味わえます。
あと、女流作家がセックスシーンや男性器をいい加減に描くと、処女や経験がないと逆にバカにされる、というツッコミまでもマンガにしている部分は面白いです。
正直個人的には逆(女性器の位置、描き方、セックスにおける誤解は男性作家の方が多い)のような気はします(^_^;
この2つの作品のさらに面白いところは,著者が
本当に女性だと言う事です。女性ならではというか、ある意味男性のドリームを裏切る展開で、エロというよりはコメディーとしてうまく描かれています。
少し古い作品だが「がぁさん」の「なんぎな恋の物語」のなかの話に、
処女で経験がないラブホテルに行った経験のない女流エロマンガ家がラブホテルに取材に行くという話がある。
ここには逆に、女流エロマンガ家が「淫乱」であるというドリームではなく、こういう
作品を描いているのに処女性的な経験が少ないと言う部分をドリームにしています。
このように、作品とその作品を描く女流エロマンガ家という関係性を意識して読むことのできる,女流作家は男性作家より、ある意味特殊な存在だと言えるでしょう。
■女流エロマンガ家は有利?
女流エロマンガ家といっても、エロの世界の基本的な読者は
男性です。
もちろん、男性がどういう風に感じ、楽しむかと言う部分は常に切磋琢磨して,努力してストーリーを作っています。
2008年のペンギンクラブ9、10月号に掲載された
URAN氏のインタビューでも、その点については語られていて、その優位性、もしくは逆に努力が必要などの話が面白かったです。
個人的には,女流作家の作品は「テクスト」として読むエロと,作家に対するドリームを妄想しつつエロの、一粒で2度美味しいお得感があると思っています(^_^;